江戸時代の話に更に追加。江戸の居酒屋での酒代はいくら?だったか、調べたら面白い結果となりました。ちなみに「そば」ですが二八=十六文という話を聞いたことがあると思います。1文が現在に換算すると約16.5円。「そば」は264円となります。そこで酒代は一合で三十文。495円だったそうです。今もこの程度で飲める居酒屋はありそうです。

現在の給料ではなく江戸時代の杜氏の給料はというと、経済状況によって若干変化がありますが、古文書などによると1884年元治元年には銀900匁という資料が残されています。それを現在の単価に直すと約200万円。これは一仕込み、11月頃より2月までの仕込み期間の給与だったようです。この額他の蔵人に比較して破格といえるものでした。ちなみに、江戸時代は江戸と関西では貨幣単位が違っていて、江戸は金による貨幣で単位は「両」「分」「朱」関西は銀で「匁」の単位でした。1両は約銀60匁に相当していたようです

現在蔵元の雇用形態は社員化され一般の社員と同様の勤務状態が多くみられますが、一昔前は杜氏をはじめとして蔵人が季節雇用として蔵元に雇われていました。蔵の食事は比較的粗末なものでしたが、酒造期間に節目節目の祝い事があり、その際は尾頭付きなど贅沢な夕膳が仕立てられていました。祝い事の代表的なものは、「酛(もと)立て(だて)」。酒母を最初に仕込む時の節目。「初槽(はつあげ)」最初の酒が搾りあがった時、「甑倒(こしきたお)し」最後の蒸し米を終了したとき、「皆造(かいぞう)」、といってすべての蔵仕事を終えていよいよ故郷に帰る前夜などに祝いを行います。

蔵元は今年の酒造りを始めるにあたって、先ず酒の神様に赴いていお祓いを受けます。代表的なのが京都の松尾大社ですが、この松尾さんは秦氏が創建された神社で、秦氏のルーツは諸説あるようですが渡来系民族で、最も多く秦氏が住まいしていたところから映画で有名な太秦となりました。
三大酒神のもう二つは、梅宮大社、松尾大社の近くにあります。もう一つは奈良の三輪大社です。

よく宴席などの終宴に「締め」を行いますが、この「締め」というのは仕事関係、地域によって等様々です。一般的には1本締めとか3本締めですが、酒類関係で伝統的なのが「新川締め」てす。これは樽廻船によって江戸へ運ばれた下り酒を下り酒問屋に伝わる手締めです。 どんな手締めかというと、先ず主催者が
「・・・でございました。」を合図に
「よぉーい よいよいよい、こら、よいよ
       〇 〇 〇     〇
いよい、こらよい、よーお ごはんじょう」
〇 〇    〇     〇 〇 〇 〇   〇が手拍子

その他の締め

大阪は浪速締めという締め方です。
うちましょ チョチョン もい一つせい、チョチョン、いおうて三度
チョチョンチョン
間違う締め方に一丁締めと一本締めがあります。一丁締めはチョンの1回だけですが、1本はチョチョチョン、チョチョチョン、チョチョチョン チョンが本締めです。
地域によって、業界などの手締めにも共通するのは、先ず下げた両手を45度の角度にします。末広がりをの型をとり手のひらを肩近くに挙げて手拍子をうつのが正式です。

猪口も様々な種類があります。
最も変わり種の猪口は土佐の高知で酒宴などに楽しまれる「可杯」です。

写真のように「天狗」「おかめ」「ひょっとこ」の面はいずれも置くと酒がこぼれるので「置くべからず」という意味の杯です。土佐では、お盆の上に駒を回し、音頭をとりながら駒が止まった方向の人がその杯で酒を飲むという遊びに用いられます。

猪口は元々本膳料理の酢の物や和え物容器に用いられましたが江戸時代より酒器として一般化しました。

利き猪口

蔵元が主として用いる猪口です。
磁器製のもので底には藍色の二重丸がお描かれていますが、それは酒の「冴え」や「照り」を見るためのものです。

徳利と銚子、両方使っていますが、銚子とは柄のついたもので神道式や結婚式などに用いられるのが一般的です。徳利は様々な種類があります。

菊正宗さんの日本酒図書館に詳しく掲載されていますが、西屋でも以下の徳利を展示しています。

ひょうたん徳利
舟徳利
浮き徳利
ろうそく徳利
らっきょ徳利

よく酒の甘い、辛いとか表現しますが、根拠となっているのは左写にある比重計で計測し、プラス値を辛口、マイナス値を甘口と言っています。比重が高ければマイナス値が、低ければプラス値になります。ただ甘辛はこれだけでは不十分で、酸とかアミノ酸、そしてアルコール度数も影響します。一つの目安としてご判断ください。